![]() 名所江戸百景 「千住の大はし」 |
あらかわの歴史(江戸末期) あらかわ浮世絵展 平成19年1月16日(火) 浮世絵展といっても、どこかの会場で展示会が開催されたものではありません。「あらかわ物語」が独自に皆様にご提供する、本サイト上の浮世絵展です。 平成19年3月5日(水)追加UP *「隅田川八景真崎夜雨」以降を追加しました。 |
![]() 浮世絵の舞台になった現在の隅田川 |
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| 江戸時代の隅田川は、大川、宮戸川などとも呼ばれ、その沿岸は江戸市民の経済・暮らし・文化が集中する「江戸の文化センター」であったようです。浮世絵師:歌川(安藤)広重の「名所江戸百景」の多くは隅田川沿岸を中心に描かれています。 名所江戸百景が描かれたのは、1856年(安政3年)〜1858年(安政5年)といわれています。安政年間といえば、アメリカ総領事ハリスが下田に着任し、安政の大獄が始まる江戸末期の激動期で、明治維新の12年前です。 また、世界的な絵画の巨匠であるゴッホは、広重の浮世絵の素晴らしさに驚愕し、自分の画法に取り入れるなど広重の画法は西欧の多くの画家に影響を与えたといわれています。 わが町荒川区も現在の石浜神社周辺、水神大橋周辺、千住大橋周辺、日暮里の諏訪台周辺が浮世絵の中に美しく登場します。賑やかな町の景色ではなく自然に恵まれた荒川区が美しく描かれており、荒川区の当時の様子が彷彿されます。これも「あらかわの歴史」を飾る一コマであると思います。たまには現世を忘れて、ゆるりと150年前の江戸末期の浮世絵の世界を楽しんでください。それにしても明治時代以降の日本の近代化がいかに凄まじかったかこの浮世絵を見るとわかりますね。 |
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| 名所江戸百景「千住の大はし」【広重】 *広重得意の遠近画法で千住大橋を描いた。 |
泉市江戸十二景「道灌山下」【広重】 *日暮里方面から諏訪台を左に見て田端方面を描く |
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| 佐野喜東都名所「日暮里」【広重】 *現在の開成高校方面から諏訪台を描いたと思われる。 |
遠彦小判「道灌山野遊び」【広重】 *現在の区立「西日暮里公園」を描いたものと推測する。 |
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| 名所江戸百景「隅田川水神の森真崎」【広重】 *現在の隅田川神社(墨田区)方向から左に湾曲する南千住汐入と筑波山を描いている。 |
喜鶴堂版東都名所「真崎雪晴之図」【広重】 *現在の白鬚橋(墨田区側)から対岸の荒川区の石浜神社内にあった真崎稲荷を描いたものと推測する。 |
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| 名所江戸百系「真崎辺より水神の森:内川関谷の里を見る図」【広重】 *現在の石浜神社周辺から隅田川上流を描いている。 |
名所江戸百景「箕輪金杉三河島」【広重】 *描いた場所は現在の三ノ輪(江戸時代は三河島田圃といわれていた)周辺らしい。 |
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| 東都名所「道灌山の虫聞き」【広重】 *右が道灌山で現在の西日暮里駅周辺からの描写? |
名所江戸百景「日暮里寺院の林泉」【広重】 *中央の坂は現在の富士見坂ではないかと思う??? |
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| 名所江戸百景「日暮里諏訪の台」【広重】 *現在の区立「西日暮里公園」から描いたものと推測する。 |
東都名所隅田川渡場之図【広重】 *真崎稲荷(石浜神社)周辺の渡場からの墨田区方をいた図と推測される。 |
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| 富岳三十六景「武州千住」【葛飾北斎】 *やっちゃ場へ荷(葱)を運ぶのだろうか? |
江戸名所花暦「尾久の原:桜草」【作者不詳】 *都立尾久の原公園周辺と推測される |
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| 東都名所之図「角田川八景:渡場落雁」【広重】 [白鬚の渡し]から筑波山方向を描く |
道灌山(江戸名勝図会) 道灌山の脇に音無川が流れる。谷中生姜はこのようなところで栽培されたらしい |
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| *隅田川八景真崎夜雨 【東都名所之内(広重:天保12年)】 080306 |
真崎暮春之景 【東都名所之内(広重:天保2年】 |
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| 真崎稲荷 『東都名勝図会』(広重) |
橋場地名の起源 『江戸名所古跡傳』(広重) |
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| 東京各大区之内 隅田堤真崎遠景 (国輝二代)明治6年 |
東都隅田川 真崎之風景 (北寿)文化12年〜天保13年 |