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明治〜昭和初期 映画撮影所の町 あらかわ 平成18年9月19日(火)更新 |
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| 荒川区が映画撮影所の町といわれても何を言っているのか?わからない人が多いと思います。ここに記載の撮影所は今は全てありませんので当然のことかも知れません。 日本に映画が海外から入ってきたのが明治29年といわれています。以後、大正元年には日活(日本活動写真株式会社)が、大正9年に松竹キネマが創設され、戦前戦後の映画ブームに結びつくことになります。 そうした中、荒川区には明治・大正・昭和初期に3箇所の映画撮影所が設置され、さながら「映画撮影所の町:あらかわ」として存在していたことを知っている人は少ないと思います。以下、3箇所の映画撮影所をご紹介します。 このことは、荒川区が都心に近く、映画や歌舞伎、芝居を始め日本の文化・娯楽の殿堂の地であった「浅草」に近接していたからではないかと筆者は考えています。とにかく区内の撮影所に関する確実な資料や写真が極めて少なく、十分な情報をお届けできないのが残念です。どなたか荒川区の撮影所の歴史をお知りの方がいればお教え下さい。 |
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![]() 現在の修性院 |
1花見寺撮影所(西日暮里4−3:修性院) 日暮里富士見坂の脇にあった妙隆寺は北隣の修性院、青雲寺とともに江戸時代より「花見寺」として江戸市民の遊興の地でした。妙隆寺は明治初期に経営難から廃寺になり修性院に移籍しました。明治43年、その妙隆寺跡地に福宝堂の「花見寺撮影所」が開設されました。日本映画黎明期の4番目の撮影所で、東京では新宿の大久保百人町撮影所に次ぐ2番目の歴史的撮影所でした。 野外の撮影所で俳優も一流どころではなく、舞台芝居をそのまま撮影し、3日〜5日に1本の映画を作るという極めてあわただしく原始的な撮影所であったようです。福宝堂は大正元年に他の撮影会社と合同で日活を設立しています。 |
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![]() 現在の東日暮里6−44周辺 |
2天然色活動写真(株)撮影所(東日暮里6−44) 日暮里の繊維問屋街(日暮里中央通り)の中ほどに大正初期に設立された撮影所で当初は180程のテント張りの撮影所でした。大正6年には約600坪に拡充され、事務所、楽屋、劇場、舞台スタジオを完備した立派な撮影所に整備されたようです。 この撮影所で沢村四郎五郎、市川延十郎など15名の俳優を擁して約300本以上の映画が作られました。 しかし大正8年に撮影所は全焼し国活(国際活動映画会社)に吸収され、巣鴨の庚申塚にあった旧天活巣鴨撮影所に移転しました。 |
![]() 現在の町屋4−15周辺 |
3町屋映画撮影所(町屋4−15) 大正期(詳細は不詳)に50坪程度の小さな撮影所としてスタートしました。当初は市川歌右衛門などの独立プロが撮影を行ったとされています。 ここを河合映画株式会社が「町屋撮影所」として本格的に整備し、昭和2年12月に撮影を開始。俳優、監督、スタッフの充実も図られ、「ふくろう組」(葉山純之輔・鳥羽恵美子主演)、「青春散歩」(松本英一監督、里見明・琴糸路主演)など数々の映画が作られました。 町屋撮影所も短期間に終わりを迎えたようですが時期などは不明です。 |
*この他南千住のコツ通り周辺にも映画撮影所があったとの話もありますが、記録等の存在がなく残念です。。