荒川区の歴史              (室町時代中期)
     太田道灌と日暮里
                          平成17年6月13日       地図ガイド
 JR西日暮里駅脇の小高くなった台地が道灌山(諏訪台とも呼ばれている)です。この台地にある諏方(スワ)神社の「諏訪大明神略記」には、室町時代中期の文安2年(1455年)荒川区を含む武蔵豊島郡を支配していた豊島氏と激しく争っていた太田道灌諏方神社に祈願し社領を寄進した旨が記されています。
 道灌山は大河隅田川、東京湾に近接し水運利用には格好の場所であり、豊島氏の本城が石神井城にあったことなど考えると軍事戦略に秀でた太田道灌がここに出城を築いたのは当然であると思います。文明10年(1478年)には豊島氏石神井城で道灌に敗れ滅亡します。「江戸名所図絵」には道灌がこの地に砦を築いた際に諏方神社を鎮守とした図が残されています。しかし「新武蔵風土記稿」では道灌説を退けてこの地域の土豪であった「関道閑」という人物の居所説を取るなど、諸説が混在しています。
 大田道灌は文明18年(1486)に主君の関東管領上杉定正に謀殺され関東南部は再び戦乱の地になりました。大永4年(1524年)北条氏綱が上杉氏を破り江戸城に入り後北条氏の時代を迎えましたが、僅か約30年後には徳川家康が江戸城に入城し江戸時代を迎え、近代史へと歩みを進めて行きます。次回は「千住宿物語」を予定しています。


歴史を刻んだ諏方神社境内

日暮里駅傍にある本行寺の道灌丘碑

JR日暮里駅前の太田道灌銅像

日暮里駅より道灌山を見る

江戸時代の道灌山

道灌山の虫聞き(江戸時代)

道灌山よりJR西日暮里駅を見下ろす

太田道灌像

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