荒川区の歴史            江戸時代の日暮里
       ひぐらしの里
                       平成17年10月28日   地図ガイド

          東都名所「日暮里」
「桃さくら鯛より酒のさかなには見所おおき日ぐらしの里」
                                              十返舎一九
日暮里の台地は、京都の比叡山と同じ意味を持つ、上野の東叡山(不忍池は琵琶湖のイメージ)に連なる寺町であり、風光明媚な場所として知られていました。江戸時代の中ごろ、寺院は競って境内の庭園作りに力を注ぎ、「月見寺」「雪見寺」「花見寺」と称えられる美しい寺々が建ち並びました。日暮里台地は丘陵全体が一大庭園のように、四季折々の花や草が咲き乱れ、江戸市民の格好の行楽地となりました。江戸の文人たちも好んで日暮里を訪れ、文学作品や浮世絵の題材の地ともなりました。そして、いつとはなしに、日が暮れても見飽きない自然や景色を称するために、「新堀」に日暮里の字を当て「日ぐらしの里」と呼ばれるようになったといわれています。
月見・雪見・花見・虫聴きの名所
月見寺:本行寺

          本行寺山門

        陽炎や道灌殿の物見塚
月見寺として知られている本行寺。山門の左の柱に「月見寺」の札がかかっています。境内には「道灌丘碑」の石が置かれています。太田道灌が江戸城を築いたとき(1457年)、道灌山にいくつかあった塚の上に物見塚を作ったうちの一つで、後に(1750年)「道灌丘碑」として建立されたそうです。この物見塚から見る月が素晴らしかったので「月見寺」と云われるようになったのでしょう。境内には江戸後期の儒学者「市川寛斎・米斎」父子の墓や、幕臣「永井尚志」の墓などもあります。
雪見寺:浄光寺

              浄光寺山門
          境内にある江戸六地蔵(三番)
真言宗浄光寺。太田道灌建立との説や元亨年間(1321〜24年)に豊島左衛門経泰の創建との伝えもあります。諏訪台でも最も高いロケーションのよい場所に位置し、雪見に適していたことから雪見寺と呼ばれていました。八代将軍吉宗が鷹狩の際の御膳所にもなりました。境内には無空が勧進して建立した江戸六地蔵の三番に当る一体が置かれています。とにかく日暮里は大田道灌との関係が深いですね。
花見寺:修性院

               修性院

      修性院の「日ぐらしの布袋」
諏訪台では、1748年に法華宗妙隆寺(後に修性院に合併し現存しない)が境内の断崖を利用して花やツツジの庭園を造り、続いて隣接する修性院、青雲寺も庭園造りを行い、以来、この三寺が花見寺と呼ばれました。特に修性院では、宝暦6年に庭園作りの名人「岡扇計」が見事な庭園を造成し遊客が絶えることなく来訪するようになったそうです。
修性院には、谷中七福神の一つ「日ぐらしの布袋」があります。江戸中期の作と伝えられ、このうえない豊かな顔の表情は見事です。
花見寺:青雲寺

                   青雲寺

           境内の「馬琴の筆塚」
青雲寺は宝暦年間(1751〜64)下総佐倉藩主「堀田正亮」により入間郡の浄居寺を日暮里に移して再興されたようです。京都の古寺を彷彿とさせる美しい庭には、江戸時代の劇作家「滝沢馬琴筆塚の碑」があります。作家が使い古した筆を供養するための塚です。滝沢馬琴は「南総里見八犬伝」の作者として現在でも知られています。青雲寺の「恵比寿」は谷中七福神の一つです。
道灌山の虫聴き

東都名所「道灌山の虫聴き」
眺めの良い道灌山は虫聴きの名所としても知られていました。秋の夜長に涼を求めてくる江戸庶民で賑わったそうです。酔客が涯の上から皿を投げる「カワラケ投げ(土器投げ)」も名物だったようです。また道灌山は薬草が豊富で多くの採取者が訪れたと言われています。

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