江戸時代の尾久

尾久の原:桜草


                平成17年10月22日    地図ガイド

           江戸名所花暦「尾久の原:桜草」
 (荒川区の「桜草の会」が原画に色彩を施しました)

 江戸時代の尾久地域は、上尾久(西尾久)、下尾久(東尾久)、船方(北区堀船)の3村から成り立ち、江戸の近郊農村として江戸と深いつながりを持っていました。東叡山領があった関係から上野戦争の時に寛永寺の輪王寺宮が三河島を通って尾久の農家に身を寄せ潜行し、また敗残兵をかくまったという話ものこされています。
 隅田川沿いの尾久の原は「桜草」の名所として知られていました。上図は、優雅な桜草の花摘みの様子を美しく紹介した江戸名所花暦の「尾久の原:桜草」の浮世絵です。桜草は肥沃な氾濫原に自生する花です。この絵から江戸時代の尾久地域の農村のイメージが彷彿されます。
 川の中央の帆船は白魚漁の舟のようです。尾久は、中央区佃島周辺と並んで「白魚漁」の名所としても知られていたようです。
 軍事的に大きな意味を持って歴史を展開した南千住や日暮里とは一味違った歴史を尾久は育んできたといえるでしょう。

トップに戻る