荒川区の橋

平成18年3月12日(日)
荒川区は約8キロにわたり隅田川右岸に接し、隅田川と深い関わりをもって歴史を重ねてきました。この隅田川に区内に8つの橋(白鬚橋・瑞光橋・水神大橋・千住汐入大橋・千住大橋・尾竹橋・尾久橋・小台橋)がかかっており、それぞれ違った表情・佇まいで私たちを迎えてくれます。ここでは荒川区内にある八橋を下流から順番にご紹介していきます。

いよいよ最後の橋です           おだいばし
               (8)小台橋  地図  平成18年3月30日(木)
 荒川区西尾久と足立区小台を結ぶ橋。創架は昭和8年で関東大震災復興事業後の都市計画事業で架設されました。現在の橋は老朽化に伴い平成4年に完成した新しい橋です。歩道や橋上バルコニー、橋灯などにデザイン的な配慮が感じられます。それまでは少し上流に江戸時代から続いた「尾久の渡し」がありました。この橋の周辺には「あらかわ遊園」や「都立尾久の原公園」など散策やレジャーに格好な場所があります。
橋の正面(美しいアーチ、存在感もある) 上流から見た小台橋(橋のバランスが良い)
「あらかわ遊園」から見た小台橋 橋名の標識(もう少し工夫が欲しかった)
近くにあるあらかわ遊園 近くにある都立尾久の原公園

                         おぐばし
               (7)尾久橋  地図  平成18年3月30日(木)
 荒川区東尾久と足立区小台を結ぶ橋。創架は新しく都道放射11号線の開通に合わせて昭和43年に架けられました。非常に残念ですが高度経済成長の只中の時期で機能ばかりが優先され、隅田川に架かる橋の中で最も味気ない橋との悪評があります。大切な公共施設を造る際には機能ばかりでなくデザインや地域の特色などにも配慮しないとこのようなことになる代表的な事例だと思います。
 ここは昭和の初期まで「熊野の渡し」のあった場所ですが、「尾竹橋」「小台橋」の架橋とともに廃止されました。
なんとも味気のない橋の正面 橋名の標識
デザイン感覚の欠如(他の橋と比べて下さい) 道路からは歩道橋を登らないと橋に行けない車優先の橋

                        おたけばし
           (6)尾竹橋  地図  平成18年3月30日(木)
 荒川区町屋と足立区千住桜木町を結ぶ橋。創架は昭和9年で関東大震災復興事業とし架けられました。それまでは「渡し」が交通手段でした。現在の橋は老朽化のため平成4年に架けられました。
 橋名の由来は、江戸時代に橋の下流にあった「お茶屋の渡し」の対岸(足立区)三軒のお茶屋(富士見屋・柳屋・大黒や屋)があり、その茶に「お竹」という美人がいて、別名「お竹の渡し」と呼ばれたことに由来するとする説があります。
橋の正面 アーチと吊り下げケーブルのバランスが美しい
親柱に柔らかなデザイン感覚 尾竹橋から4本のお化け煙突が見えた

                         せんじゅおおはし        
               (5)
千住大橋      地図  平成18年3月29日(水)
 徳川家康が412年前(文禄3年)に隅田川に最初に架けた橋が千住大橋です。江戸と奥州を結ぶ歴史的な橋で「千住宿」として大いに賑わっていたそうです。最初の橋は現在より100メートルほど上流に架けられ、浮世絵ににも登場する美しい橋だったようです。現在も橋のたもとに大橋創架の際に完成祈願のため橋の材木で普請したといわれる「熊野神社」があります。
 現在の橋は、昭和2年に関東大震災の復興事業として架橋され、近代橋梁の名作といわれるほどの名橋だそうです。しかし今は高潮堤防と大橋の両サイドが後から専用橋が作られ、サイドからの美しいアーチが確認できない状況になっています。名橋だけに橋の景観に配慮した方法が取られなかった事が残念です。 
荘厳な感じがする玄関アーチ 標識に美的感覚がないのが淋しい
このデザイン感覚は素晴らしい 浮世絵に美しく描かれた「千住のおおはし」
大橋の完成を祈願した熊野神社の説明版 橋の直ぐ傍にある「熊野神社

                        せんじゅしおいりおおはし
           (4)千住汐入大橋  地図  平成18年3月25日(土)
 まだ地図に書かれていないほどニューな「千住汐入大橋」。東京都の防災拠点である荒川区南千住8丁目の白鬚西地区(旧:汐入地区)と千住関屋方面を結ぶ新しい橋で、2月19日(日)に開通したばかりです。詳しくはこのホームページの「催事」の「汐入大橋」をご覧下さい。
 水神大橋の名称を墨田区に譲った形の荒川区は、この橋に歴史のある「汐入」の名称をしっかりと付けました。結果的に地域の歴史的価値のある名称がそれぞれの橋にバランスよくついたと思います。
 それにしても、汐入の再開発がいかにドラスチックであったか写真でみて改めて驚きました・・・・・
完成した新しい橋 歩道も広々しています
橋のモニュメント 工事中の橋(平成17年11月撮影)
工事中の写真(平成17年11月撮影) 橋の開通を喜ぶ住民
再開発以前の懐かしい汐入の町並み 再開発後の汐入の町並み(かっこいいが少し淋しい)

                         すいじんおおはし
           (3)水神大橋    地図    H18・3・19(日)                
 水神大橋は、東京都の防災拠点である荒川区の白鬚西地区(旧:南千住汐入)と墨田区の白鬚東地区(旧:鐘淵)を結ぶ橋で、日本全国でも最大規模の防災拠点です。橋は昭和63年に歩行者のみの橋として架設され、周辺の道路整備及び墨田区側の首都高堤ランプの開通にあわせて平成8年に完成・開通しました。
 橋の名の由来は墨田区側の橋近くにある「隅田川神社」が古くは「水神宮」いわれ、その一帯を江戸時代には「水神の森」と呼ばれていたことによる。橋の名称は「汐入大橋」との荒川区の主張もあったが、「水神」にまつわる歴史価値から荒川区が「水神大橋」で納得した経過があると聞く。荒川区の選択を評価したい。
 橋の近くには「梅若伝説」で知られる「木母寺」(墨田区側)やつい最近完成した都立白鬚西公園(荒川区側)など、隅田川沿岸のスーパー堤防を散策しながら楽しめる場所が随所にあります。
荒川区側から見た水神大橋全景 波型のモニュメント美しい
身近に見る水神大橋ー橋向う左が堤ランプ 梅若伝説で有名なも木母寺(墨田区側)
水神大橋から開発が進む白鬚西地区を望む 水神大橋へ続くJR南千住駅前ドナウ通り


                      ずいこうばし
                   (2)瑞光橋        地図     平成18・3・19(日)
 瑞光橋のある場所はかって入江がありその先に水門が汐入のシンボルのように立っていたところです。水門の先は国鉄用地と汐入の間を縫って千住大橋側の隅田川とつながった長い水路となっていました。いま残っていればウオーターフロント開発の絶好の水路で、白鬚西地区の再開発も水環境を取り込んだ夢のような開発も可能であったと思います。高度経済成長はこうした貴重な都市の財産をなんのためらいもなく破壊してしまいましたね。残念至極です。
 さて瑞光橋の由来はかつって水門tの裏にあり、汐入地区と南千住3丁目をつなぐ貴重な橋でした。隅田川側に移設新設され昔の名前を名乗っています。ちなみに瑞光は素サノウ神社に瑞光石が祀られており、そうした関係からつけられたものと考えられます。
架設工事中の瑞光橋(左のビルは都立航空高専) 隅田川から入江に入る所に瑞光橋がある
瑞光橋から水門が消えてしまった入江を見る 瑞光橋から入江の水門を見る(つい最近まで現存した



                       しらひげばし
           (1)白鬚橋      地図    H18・3・12(日)
 橋の名は、対岸の墨田区白鬚神社にちなんだものと思われます。もともとは「橋場の渡し」があった場所で、橋場の地名は台東区に現存しています。大正2年に木橋が作られたのが最初で、現在の橋は昭和6年に架けられました(全長168m、幅23m)。
 「名にしおばいざ言問わん都鳥わが思う人はありやなしやと」と、在原業平が東下りに詠んだとされる場所はこの白鬚橋周辺と言われています。江戸時代には、浮世絵にも美しく描かれ、多くの文人墨客が親しむ場所でもありました。
 明治維新後も、風流・優雅の場所として、皇族、華族、財界人の屋敷が建ち並び、中でも維新の元勲「三条実美」の別荘「対鴎荘」のあった場所として世に知られています。三条実臣は、明治政府部内の征韓論をめぐる激しい対立から心労の余り倒れ、この対鴎荘で静養していました。対鴎荘は昭和3年に白鬚橋架設工事のため多摩聖跡記念館に移築されました。
美しいアーチ形状で有名です 荒川区側から見た姿
荘厳な感じさえする親柱 橋詰にある対鴎荘跡遺跡
白鬚橋全景 橋詰の橋灯の美しいデザイン
白鬚神社が近く(墨田区)にあります 向島百花園(墨田区)も近くにあります

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