人気の「黄金バット」
       
昭和初期〜戦後        
紙芝居の町:あらかわ

 五十銭札や一円札を握り締め水飴や梅ジャム煎餅を買い紙芝居に夢中中になっていた懐かしいあの頃・・・

      平成20年2月9日(土)

戦後の街頭紙芝居の風景
 敗戦後の貧しかった時代に「もんじゃ」と並んで子供たちに人気が高かったのは「街頭紙芝居」です。そんな紙芝居と荒川区の関わりは意外に深く、昭和初期から荒川区内には数多くの街頭紙芝居の貸し元が存在していました。特に日本の紙芝居業界の御三家の一つであった「大日本画劇株式会社」が現在の京成町屋駅近くにあったことが紙芝居の町荒川区の大きなインパクトであったと思います。
 また、戦後の紙芝居の人気ナンバーワンであった「黄金バット」(上の左側の写真)の原作者である「加太こうじ」さんは日暮里の太平洋美術学校で絵画を勉強したそうです。
 こうしたこともあって、街頭紙芝居は、荒川区、台東区、足立区など、東京の下町で隆盛をみることになりました。最盛期の昭和27年頃には、東京だけで紙芝居を見る子供は100万人に登り、紙芝居屋も3000人(全国では5万人)いたそうです。
 しかし、日本の社会が豊かさを求め始めた昭和30年代後半から、テレビの進出もあいまって、子供たちの娯楽も急速に変化し、紙芝居も街頭からその姿を次々に消していきました。しかし、現在も、日暮里在住の「森下正雄」さんが数少ない紙芝居師として活躍しています。
 今や、インターネットが隆盛を極め、世界の情報が瞬時に入手できる便利な時代になりました。しかし、社会の世相は家族の殺人事件を始め眼を被うような惨憺たる混乱を呈しています。限りなく貧しかったけれど、子供たちが紙芝居に瞳を輝かしていたあの時代の僕らの頭上にはいつも青空が広がっていたような気がします。
黄金バットを熱演する森下正雄さん 「加太こうじ」原作「黄金バット」
紙芝居に夢中の子供たち(戦後の区内での写真) 数少ない紙芝居師「森下正雄さん」

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