古寺巡礼
                                           
      日暮里コース
                            諏訪台地の寺社めぐり

 荒川区には、55のお寺が存在し、地域の生活や歴史と深いかかわりをもって人々の信仰を集めてきました。健康ブームの時代にあって、歩きながら地域のお寺めぐりをする人が増えています。荒川物語では、諏訪台を散策する「日暮里コース」、日光街道沿いを散策する「南千住コース」で代表的な寺社をご紹介しますので、どうぞウォーキングがてら古寺巡礼に参加ください。
日暮里:古寺j巡礼コースのご案内
@本行寺→A経王寺→B延命院→C啓運寺→D養福寺→E浄光寺
F諏方神社
→G青雲寺→H修性院→I法光寺→J南泉寺→K善性寺

 古寺巡礼「日暮里コース」も最後です    平成19年8月11日(日)
                              
                               ぜんせいじ
            K「善性寺」
                                                            案内図
                                   荒川区西日暮里5−4−14(JR日暮里南口下車3分)
 日暮里古寺巡礼も最後の善性寺です。善性寺の開創は長享元年(1487年)と伝えられますが、草創は鎌倉時代にまで遡る古刹です。伝道中の日蓮上人は、しばしば地下の武士・関氏の邸を通られていました。ある日、難産に苦しむ関善左衛門の妻の願いに応え、杓子に曼荼羅を書いて与えたところ、無事男子を出産したとの伝えがあります。日蓮上人の徳に触れ、深く帰依した善左衛門は、宅地内に小宇を建て、杓子と日蓮上人像を安置しました。これが善性寺の濫觴だそうです。
 江戸時代には 6代将軍・徳川家宣の生母、お保良の方が帰依したことから、家宣の弟、松平清武を初祖とする越智松平家の葬地と定められました。境内には、清武の墓所をはじめ、越智松平家歴代の墓、浜田藩殉難碑(越智松平藩が島根県浜田に移される)などがあります。
 また、名横綱・双葉山(穐吉定次。戒名:霊山院殿法篤日定大居士)、明治から昭和にかけ、ジャーナリスト、政治家、経済評論家として活躍した石橋湛山、名脇役で知られる歌舞伎役者・中村又五郎(碑文は小山内薫)、小野派一刀流四世・中西忠兵衛子正のお墓もあります。さらに安土桃山時代の作と伝えられる「不二大黒天像」も、地元の人々の信仰を集めています。
日暮里コースお疲れさまでした。hideito001@yahoo.co.jpまで感想をお寄せください。
善性寺山門 山門脇に善性寺の字が見える
山門入り口に将軍橋の字が見える。橋の下は昔、音無川が流れていた 将軍橋は六代将軍徳川家宣公がしばしば善性寺を訪れたため掛けられた橋である。
善性寺本堂 善性寺本堂
本堂上部に「関妙山」の字が見える 境内には安土桃山時代の作と伝えられる「不二大黒天像」が安置されて信仰を集めている。
手入れの行き届いた境内が清清しい お帰りは善性寺前の江戸時代からの老舗「羽二重団子」で美味しい団子でも食べてください。
羽二重団子の玄関前の「団子の由来」 羽二重団子は本当に美味しい、お土産に最高ですよ
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                                平成19年8月11日(日)
                              
                               なんせんじ
            J「南泉寺」
                                                            案内図
                                   荒川区西日暮里3−8−3(JR日暮里北口下車13分)
 元和2年(1616)徳川家から土地を拝領し、大愚禅師が創建しました。その後家光や綱吉などにお仕えした大奥の老女岡野の遺言により朱印30石を賜ったそうです。本堂内の聖観音菩薩像は鎌倉時代の作であり美濃の遠山氏の念持仏であり、本尊は江戸期の釈迦如来座像です。
 本堂への入り口にと書かれた大きな額が掲げられているのは、現世と仏教界の境を示しているそうです。境内左の菅谷不動尊は、明治の9代目団十郎の弟子、新蔵が目を患った時に願掛けて治癒したところから団十郎不動と呼ばれています。境内には男女の和合を示すお招きさまの祠や蛙塚、墓地には横山大観、老女岡野の墓、講談の名人 初代松林伯円と2代目伯円の墓などがありま
す。
南泉寺山門 山門脇に南泉寺の字が見える
講談の名人松林伯円の記念碑 南泉寺の由来が書かれている
南泉寺本堂 本堂内陣
本堂上部の書 本堂左手にある「団十郎不動」
「団十郎不動」の字が見える 禅寺らしく端然とした本堂が素晴らしい
手入れの行き届いた庭園 南泉寺前のビルの上のラクダが面白い
「だんだん坂」手前の竹細工「翠屋」でお土産はいかが 「だんだん坂」を上って最後の「善性寺」へ向かう
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                                平成19年8月11日(日)
                              
                               ほうこうじ
            I「法光寺
                                                            案内図
                                   荒川区西日暮里3−8−8(JR日暮里北口下車13分)
 修性院から50メートル位で法光寺です法光寺は法華宗陣門流に属し新潟県三条の本城寺が総本山です。慶安3年(1650)に開基されています。門前の左に陸軍少年飛行兵慰霊碑が昭和45年に建てられ、ノモンハン事変以来、少年飛行兵として空に散った4万5千人もの霊を慰めるために建立されました。
法光寺山門 山門脇に陸軍少年飛行兵の慰霊碑が建つ
慰霊碑の」由来が書かれている 山門に日照山法光寺の字が見える
法光寺本堂 本堂上部に日照山の字が見える
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                                平成19年8月4日(土)

                              しゅうせいいん
            H「修性院(花見寺)
                                                            案内図
                                   荒川区西日暮里3−7−12(JR日暮里北口下車12分)
 青雲寺を出て100メートルほど戻った日暮里富士見坂下に修性院があります。修性院は、江戸時代の宝暦6年、京都の名人庭師の「丘扇計」が造った花々で彩られた美しい庭園があり、隣接の青雲寺とともに「花見寺」として江戸市民の遊興の地でした。明治43年、当寺に福宝堂の「花見寺撮影所」が開設されました。日本映画黎明期の4番目の撮影所で、東京では新宿の大久保百人町撮影所に次ぐ2番目の歴史的撮影所でした。また修性院には、谷中七福神の一つ「日ぐらしの布袋尊」が安置されています。
修性院山門 山門脇に催しの掲示板がある
本堂 本堂正面上部に「運啓山」の字が見える
本堂脇に布袋尊の標識柱が建つている 本堂内陣に安置されている江戸中期の傑作「布袋尊」
修性院の塀 塀には布袋尊の絵が組み込まれて人気を博している
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                                平成19年8月4日(土)

                               せいうんじ
            G「青雲寺(花見寺)
                                                            案内図
                                   荒川区西日暮里3−6−4(JR日暮里北口下車10分)
 諏訪神社の鳥居を出て、富士見坂を下って修性院を右折するとすぐ青雲寺の山門です。青雲寺は宝暦年中(1751-64)下総佐倉藩主堀田正亮により、荒廃していた入間郡浄居寺(じょうごじ)という寺を引移して再興されました。山号は浄居山、寺号は堀田性亮の法号青雲院にちなむそうです。青雲寺の恵比寿は有名な谷中七福神の一つです。江戸時代には隣接する修性院とともに諏訪台地と一体になった大庭園が切り開かれ「花見寺」と称され、江戸市民の憩いの場所、文人簿墨客の遊覧の地として有名でした。現在も、先代住職が諏訪台の崖沿いにツツジと八重桜、現住職が緋垂れ桜を植え伝統を守っています。美しい庭と草花は心を和ませてくれます。境内には南総里見八犬伝の作者として有名な「滝沢馬琴の筆塚」も建っています。
                                                                                             
青雲寺山門 青雲寺は禅寺です
山門右手に花見寺の碑が建っている 青雲寺の案内板
青雲本堂 本堂正面上部に青雲禅寺の字が見える
滝沢馬琴の筆塚の碑 手入れの行き届いた境内が美しい
谷中七福神の一つ「恵比寿神「が本堂に安置されている 本堂は「重層造」で建築物としても価値がありそうです
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                                平成19年7月7日(土)

                               すわじんじゃ
            F「諏方神社
                                                            案内図
                                   荒川区西日暮里3−4−8(JR日暮里北口下車7分)
  元久二年の創立で、豊島左衛門尉経泰が勧請したと伝えられています。文安年間に太田道灌神領を寄進し、徳川時代神領を賜わり、寛永十二年社殿を現在の地に御遷座し、明治になり日暮里・谷中の総鎮守の神社として名高く、八月の大祭には百軒近く露店が並びます。荒川区内では「天王神社」「石浜神社」「尾久八幡神社」と並ぶ4大神社です。

800年の歴史を偲ばせる格調高い山門 広々とした境内
本殿前の「火くぐり」で健康祈願をする 本殿内の創建800年を祝す垂れ幕
地元の書家「秋葉生白」さんが800年を祈願して書いた「神威」の書 諏方神社全景
本殿前の「お水取り」の場 昨年のお祭りの時の写真
本社神輿の雄姿(昨年) かつて諏方神社の山車に祀られた豊島左衛門尉経泰の像が86年ぶりに埼玉県越生市から里帰りを実現
境内から西日暮里方面に抜ける「地蔵坂」・名前は別当寺の浄光寺の江戸六地蔵に由来する 境内にある江戸火消し「れ組」の石碑
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                                平成19年7月1日(日)

                               じょうこうじ
            E「浄光寺(雪見寺)
                                                            案内図
                                   荒川区西日暮里3−4−3(JR日暮里北口下車7分)
 浄光寺は、諏訪台の中でも眺めの良い場所にあり、雪見に適するので「雪見寺」とも呼ばれてきました。創立年代は不明で、創立者は大田道灌説と豊島佐衛門尉経泰説があり、豊島説はここを江戸城の出張りの砦とした際、郭内に諏方神社を創立し、浄光寺を諏方神社の別当寺とした説ですが、確たる史実は確認されていません。元禄四年(1691)、空無上人の勧化により江戸東部六ヶ所に六地蔵として開眼された江戸六地蔵第三番にあたります。銅製の鋳造仏(頭光と錫杖は鉄製)で、空無作で現存するのは当寺と専念寺の二体のみです。重厚な山門を入ると左手奥に長い年月をひっそりと見つめてきた優しい顔のお地蔵様が鎮座しています。 
重厚な感じが素晴らしい浄光寺山門 第三番地蔵尊
優しい顔が印象的です 山門脇の石仏の地蔵
数々の歴史を秘めた石仏・碑石が並ぶ 墓地の奥に突如再開発ビルが出現
山門右下の「六地蔵三番目」の碑 案内板
本堂 山門を出ると富士見坂に続く
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平成19年6月10日(日)

 ようふくじ
D「養福寺」
                                         案内図
                      荒川区西日暮里3−3−8(JR日暮里北口下車6分)
 養福寺は真言宗で阿弥陀仏を本尊とし,平屋造り朱塗りの仁王門の金字の額は山岡鉄舟が書いたものです。宝永年間(1704〜11)の建築と伝えるこの門は、表側には運慶作とされる仁王像一対があり、それぞれ「阿(あ)」「吽(うん)」を示し荒川区指定有形文化財(建造物)になっています。仁王門の裏側には四天王のうちの広目天・多聞天の像が安置されています。また境内には西山宗因、井原西鶴などが活躍した江戸の俳句界の中心であった談林派歴代の句碑(荒川区指定文化財)などが多数残っています。江戸時代、多くの文人墨客が日暮里に集い交流していた様子が養福寺の碑石を通して偲ばれます。 
「諏訪台通り」から」養福寺山門に入る 金字の額は幕末の偉人「山岡鉄舟」の書
運慶の作と言われる二天王立像/左側(阿) 二天王立像/右側(吽)
仁王門の裏にある広目天 仁王門の裏にある多目天
区内の寺では珍しくなった鐘楼堂が建つ 緑が濃い境内の中庭。静寂な感じが素敵です。
談林派歴代の碑(中央は梅翁花樽碑.、右は月の碑) 西山宗因の弟子の谷素外の名もみえる
談林派歴代の碑(雪の碑) 柏山人(江戸四大詩人の一人、柏木如亭)の碑
自堕落先生こと山崎北華が生前に建てた自らの碑 養福寺本堂
本堂内陣の模様 歴史的な石仏が心を和ませる
六地蔵がひっそりと建つ ゆかりの日蓮上人の像もある
お帰りはすぐそばにあるスイス料理はいかが? スイス料理店全景/お帰りはJR西日暮里駅へ5分です
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平成19年6月10日(日)

  けいうんじ
C「啓運寺」
                                         案内図
                      荒川区西日暮里3−2−14(JR日暮里北口下車5分)
 啓運寺は、天保元年に上野で開山されましたが、幕末の上野戦争の兵火に遭い、明治18年(1885年)現在地に移転しました。境内の毘沙門堂に安置されている毘沙門天像が有名で、運慶の作との伝えもありますが、台座の裏に墨書銘があり寛政9年)(1797年)に仏師伊東光雲が作ったことがわかります。毘沙門天は多門天ともいわれ、四方を守護する護法神である四天王の一つですが、独立して福徳富貴の神としても信仰されています。そのほか延宝8年の銘のある庚申塔は有形民族文化財になっています。
日暮里駅から啓運寺に続く寺町の道 啓運寺山門
啓運寺本堂 本堂の上部
本堂の内部 毘沙門天像
長唄で有名な杵屋家の歴史的な碑も本堂脇にある 境内の模様。伝統と近代化はなかんかバランスが取れませんね
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平成19年6月4日(月)

    えんめいいん
B「延命院」
                                         案内図
                      荒川区西日暮里3−10−1(JR日暮里北口下車4分)
 JR日暮里駅を谷中方面に下りると、左手、緩やかに上る坂がある。道なりに歩いていくと、最初の十字路の右先にあるのが寶珠山延命院です。慶安元(1648)年、慧照院日長上人により創られたそうです。同年春に勧請された七面大明神社の別当寺で、四代将軍家綱公の乳母であった三沢局が開基にあたったと伝えられています。
 山門を入ってすぐ、見事な椎の木が目に入る。樹齢六百年を越すといわれる大椎(オオシイ)は、天保三(1836)年に描かれた江戸名所図会にも載っており、東京都の天然記念物に指定されています。
 都区内で3番目の巨樹で幹周:5.3m、樹高16m、枝張りは東西14m、南北が23m。樹齢は約600年といわれており太田道潅が生まれる前からある木ということになります。
 このあたり、西日暮里から谷中にかけては多くの寺があり、そばには都区内2番目の玉林寺のシイや都内一番の大雄寺のクスノキがあ
ります。
延命院山門 山門の標記
山門から見たオオシイ 平成14年ごろ南側の幹が老朽して崩落
南側の幹が老朽して崩落した状況 本堂側から見たオオシイ
延命院本堂 境内の一番奥に建つ優雅な建築物
境内の緑が都会の雑踏を忘れさせてくれる 手入れの行き届いた境内
延命院を出ると「夕焼けだんだん坂」です だんだん坂手前の中華料理店で昼食でもいかが
お帰りのお土産は延命院前の「かみくら」でどら焼きなど 徒歩2〜3分の「朝倉彫塑館」に寄り「谷根千散歩」も楽しい
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平成19年5月30日(水)

   けいおうじ
A「経王寺」
                                          案内図
                      荒川区西日暮里3−1−3(JR日暮里下車3分)
 経王寺(けいおうじ)は、1655年に当地の豪農(冠一族)が、堂宇を寄進建立したことに始まります。本堂の右手左側の大黒堂には、日蓮上人の作と伝えられる「大黒天」が鎮守として祀られています。
 江戸時代末期の1868年(慶応4年)、上野戦争の時に谷中の「天王寺」が彰義隊の分営とされた。その際、背走した彰義隊士が当寺に隠れたため、経王寺は官軍の包囲を受けることとなり、激戦の地となったようです。山門にはその際の弾痕が今も生々しく残されている。門の右側には門番所が併設されており、木造建築の門の一つの型を示す貴重な遺産といえる。
 また、尾久の歴史でも書きましたが、尾久の熊野前周辺の民家にも彰義隊が遁走したようで、荒川区は上野戦争の影響を受けていた様子が理解できます。
端正な佇まいを見せる経王寺山門 山門の上部の姿が美しい
経王寺の歴史案内版 山門の扉の弾痕(6箇所)が生々しい
山門の扉の弾痕 山門の扉の弾痕
山門の扉の上部の弾痕(合計9箇所の弾痕を確認) 経王寺本堂
美しい庭が都会に居ることを忘れる 日蓮上人の作といわれる大黒天
大黒天全景 大黒天の内部
経王寺の隣にある紅茶ショップ「ダージリン」
一服してお帰りください
インド直輸入の紅茶ショップです
ついでに、名物「谷中せんべい」でもお土産にどうぞ だんだん坂へ続く道。谷中銀座商店街から
「谷根千散歩」も楽しいですよ
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平成19年5月6日(日

ほんぎょうじ
@「本行寺(月見寺)  
                                          案内図
                                           *所在地:荒川区西日暮里3−1−3
                                           *電話:03−3821−4458 
 「古寺巡礼:日暮里コース」のトップバターは日暮里駅徒歩2分の日蓮宗「本行寺」。江戸時代には月見寺として江戸市民に愛された寺です。山門の美しさは抜群で、一歩境内に入ると東京の雑踏を忘れさせてくれる、静寂な日本庭園が訪れた人々をさりげなく迎えてくれます。
 お寺の開基は大田道灌の孫の大田大和守資高で、最初は江戸城内の平河口に建てられ、神田、谷中に移り、1709年(宝永6年)に現在の場所に移転しました。
 大田道灌ゆかりの「道灌物見塚」が有名ですが、20世の住職、日桓(にっかん)上人(俳号・一瓢)が江戸の著名な俳人たちと盛んに交流し、中でも小林一茶はしばしば本行寺を訪れ句を読んだといわれています。
 また、現代の季語のない俳句のパイオニアでもある種田山頭火の句碑もあり、文化の薫り高いお寺です。そして、日暮里地域での様々な文化活動が本行寺から生まれています。今年も「山頭火サミット」が開催されます。

 墓地には、江戸幕府の重鎮「永井尚志」のお墓、儒学者の市河寛斎・書家の市河米庵親子の墓もあります。
山門が一際美しい。左門柱に「月見寺」も見える 大田道灌物見塚跡
道灌丘碑 江戸幕府の幕臣「永井尚志」の墓もある
小林一茶句碑「陽炎や道灌殿の物見塚」 種田山頭火句碑「ほっと東京に来ている月がある」
一茶の句碑「青い田の露をさかなやひとり酒」  静寂な庭園に心も和む
手入れの行き届いた境内 山門左の門柱に見える「月見寺」
加茂行昭住職は地元で様々な文化活動に取り組んでいる 墓地からは月ならぬビルが顔を出し(駄作句)
すぐ並びの大正ロマンを感じさせる「あづまや」さん
甘味・食事なんでもあり。しかもお安く。美味しく。
          お土産に人気の「中野佃煮店」
お帰りは御殿坂を下って日暮里駅へ 日暮里駅から西日暮里方面左側に本行寺が見える

     次回は、上野戦争の舞台になった日暮里「経王寺」を予定しています。

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