荒川区発五大事件簿

日本中が騒然となった荒川区発の現代版事件簿です

平成20年2月10日(日)





  あべさだじけん
阿部定事件
 昭和11年5月19日
 
 荒川区尾久地域で起きた最も有名な事件といえば、世に言う「阿部定事件」。昭和11年5月19日、荒川区尾久の三業地(西尾久2−7付近)にあった待合「満佐喜」で、局部をすっぱり根もとから切り取られた四十代男性の死体が発見され、数日後に被害者の男性器を懐中に携行しながら逃走していた阿部定という三十代の女が逮捕されたという事件で全国に「阿部定パニック」が走った大事件でもあった。
 大島渚が監督して製作した「愛のコリーダ」が有名。「満佐喜」は現在ないが、今も残る待合「いろは」の北側にあったらしい。

 みかわしまじこ
三河島事故
  昭和37年5月3日
 昭和37年5月3日午後9時37分頃、荒川区の国鉄(現、JR東日本)常磐線、三河島駅−南千住駅間で、貨物専用線を走っていた下り蒸気機関車の機関士が赤信号を誤認し前部の機関車が脱線、隣の下り線路内に傾いて停止した。その2分前の9時35分、三河島駅を1分遅れで発車した上野駅発取手行きの下り電車が、傾いて停止している機関車を発見、急ブレーキをかけたが間に合わず電車の1両目が機関車に衝突し、上り線路内に脱線した。
 このため、乗務員らは乗客に三河島駅へ歩いて引き返すよう誘導し、一部の乗客が線路内を歩きはじめた。そこへ同40分、南千住駅を発車した上野行き上り電車が脱線した下り電車に衝突、轟音とともに火花を散らして脱線。1両目は車体だけを残して大破、2,3,4両は5メートルのがけ下に落ち民家に突っ込んだ。下り電車の2,3両目も脱線、宙に浮いた。このため死者160人、重軽傷者325人をだす空前の大惨事となった。




 よしのぶちゃんじけん
吉展ちゃん事件
  昭和38年3月31日
 昭和38年年3月31日、東京台東区入谷町の村越吉展ちゃん(4つ)が自宅前の公園に遊びに行ったまま行方不明となった。まもなく村越家に数度に渡る身代金要求の電話が入る。4月7日、犯人指定の「品川自動車」に母親(当時28歳)が身代金50万円を持っていくが、吉展ちゃんは戻らず、身代金だけが奪われた。
 昭和40年、迷宮入りかに見えたこの事件の捜査に平塚八兵衛らが投入される。以前から容疑者の一人だった元時計職人・小原保(当時30歳)のアリバイ崩しに成功し、自供させた。それによると吉展ちゃんはすでに殺害されていたことが判明、荒川区にある円通寺墓地にて遺体が発見された。






  にっぽりのたいか
日暮里の大火
  昭和38年4月2日
 昭和38年4月2日14時56分。荒川区東日暮里3丁目23番付近にあった寝具工場「瑞光商会」作業場兼倉庫から出火、強風のためゴムに引火し、最終的に33棟が焼失する大火災となった。
 火災原因は、マッチ煙草に火をつけ、燃えているマッチ棒を接着剤の入った缶に投げ捨てたため出火し、北の風10.5メートルの強風にあおられて火の粉が飛び延焼拡大した。
 全焼三十六棟。消失面積約5千平方メートル。焼者220名の大火災となった。

 ところで、吉展ちゃん事件の犯人小原は事件当時は福島県にいたと供述していたが、平塚刑事との世間話から小原が日暮里の大火の煙を見たとの発言からアリバイが崩れ難事件が一気に解決した。二つの事件は不思議な糸で結ばれていたのか?







くにまつけんさつちょうちょうかんそげきじけん
国松検察庁長官狙撃事件
 平成7年3月30日
 平成7年3月30日午前8時30分頃、国松孝次警察庁長官が登庁するため東京都荒川区南千住6丁目にある自宅マンションの玄関から出た瞬間、突然何者かに狙撃された。4発発射された銃弾のうち3発が国松長官に命中、長官は玄関前に倒れた。出迎えにきていた秘書官や運転手が救急車を手配し長官は病院に搬送された。一時意識不明の重体に陥ったが医師団の懸命の治療で意識が回復。その後、リハビリテーショーンを経て現場に復帰した。
 警察は、自らの最高トップが狙撃されたことに驚愕と同時に面子にかけて最大級の捜査を指示した。これを受けて警視庁と南千住署は特別捜査本部を設置して現場検証及び地域住民の聞き取り調査などを開始した。
 事件から9年後の平成16年7月7日現場に残されていた10ウォン硬貨に付着していたDNAと小杉元巡査長のそれが一致したとして彼を含むオウム信者4人を逮捕した。だが、取り調べで事件につながる要件は何もでてこなかったため9月には不起訴処分となり真相はいまだ闇の中である。

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