明治時代〜大正時代
       
       れんがべい
  煉瓦塀の町


          平成20年3月1日(土)
 数は少なくなりましたが、荒川区の隅田川沿いには明治時代から大正時代に作られた煉瓦の塀や建築物が現在も点在しています。
 なかでも目立つのが「あらかわ遊園」周辺の大規模な煉瓦塀で、一団の大規模な住宅街区(西尾久6丁目20番・21番・34番)を囲い込む形で約250メートルの煉瓦塀が連続して造られています。(写真@〜H)。この煉瓦塀がなんのために造られたのかは明確には確認できませんが、明治初期には煉瓦工場であったことは間違いないようです。
 明治初期といえば明治5年2月26日に和田蔵門内の会津藩邸の火災により現在の銀座・築地地域が焼け野原となり、明治政府の令により再建する家屋は全て煉瓦造りと決定され、煉瓦の製造が急務となりました。本所・深川に集積していた瓦製造業者は急遽煉瓦製造業者に転向、大規模な煉瓦工場が必要になったようです。「あらかわ遊園」周辺の煉瓦塀はこうした時代の流れの中で「煉瓦製造工場」が進出し、造られたのではないか?と思っています。
 次は、南千住6丁目43番周辺の「千住製絨所跡地」の煉瓦塀です。(写真J〜K)。明治政府の富国強兵政策の一環として「軍服の国産化」を進めるために明治12年に操業を開始したラシャ製造の工場でしたが、井上安治が錦絵で描いた「千住ラシャ製造場」の絵(L)でも分かるように、煉瓦造りの西欧近代的な大規模工場であったようです。ここの煉瓦塀は重厚で往時の「ラシャ場」の隆盛を偲ぶことができます。
 次は関東大震災後の大正11年に日本で最初に稼動した「旧三河島下水処理場(現水再生センター)」です。(写真N〜Q)。ここの主ポンプ室は、西洋の駅舎をイメージさせる瀟洒な美しい建築物で、平成19年10月に国の重要文化財に指定されました。また、街中にも町工場だったところに煉瓦塀が点在しています。(写真R〜S)。
 時代とともにこうした歴史的遺産である煉瓦塀も姿を消していくのでしょうが、新しい街づくりや開発の中に煉瓦を生かすことができないものでしょうか。近代化だけでは無味乾燥な町になってしまいます。・・・

         @あらかわ遊園周辺の煉瓦塀 A遊園周辺:連綿と続く煉瓦塀
B遊園周辺:こうした塀が約250メートルも続く C遊園周辺:城壁のようです
D遊園周辺:数々の歴史を刻む煉瓦塀 E遊園周辺の煉瓦塀
F遊園周辺:これは何に使ったものか? G遊園周辺:入り口にしては高さが低い???
H遊園周辺:立派な門柱 Iあらかわ遊園クラフトハウスも煉瓦造りです
J千住製絨所跡地の重厚な煉瓦塀 K千住製絨所跡地の精緻な煉瓦塀
L井上安治画:「千住ラシャ製造場」 M千住製絨所初代所長「井上省三」の像
N「三河島水再生センター」 O水再生センター:主ポンプ室
P水再生センターの煉瓦造り建築物 Q国の重要文化財に指定された水再生センターの建築物
R町中の煉瓦を使った工場 S町中の民家の煉瓦塀

*荒川区内の煉瓦塀や煉瓦建築物に関する情報をお待ちしています

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